2010年 06月 09日

“あいでんてぃてぃ”

久しぶりに何か書いてみようと思います♪

 僕は、横文字 おりまぜて話すことには抵抗があるのですが、

  横文字の中には、それに代わる日本語が無くて、

   ほぼ日本語として、日本語の中に存在している 横文字 も多くあります。

 そんな 横文字 の中で、僕がずいぶんと長い間、

  いまいち意味を掴みかねていた横文字が有り、

   それは “アイデンティティ” という言葉です。


 ただその意味を知ろうと きちんと考えたことがこれまでありませんでした。


 そんな中、昨晩、人と電話で話しているときに、

   僕が、

     「学歴の話したがる人の気持ちが全く分からない訳
              じゃないけど、あんまり好きじゃないなぁ・・・」

   って話したとき、相手から

     「別にいいんじゃない。学歴も一つのアイデンティティなんだから。」

    という言葉返って来ました。


  この言葉を聞いた瞬間に、すごく大きな違和感を覚えました。

   感覚として、 学歴 は アイデンティティ ではないということが明確になった瞬間でした。

    でもきちんとそれを説明する言葉がそのときとっさには出てきませんでした。



  そこでひとまず、 アイデンティティ という言葉を

   ネット辞書で調べてみました。

    『 アイデンティティ = 同一性 』

    ということでした。

   すご~く、端的に言ってしまえば、 

         アイデンティティというのは、   「 私は、私だ。 」 と言い切れる

           絶対的な自己を表すのだと言えると思います。

     アイデンティティ という言葉にとって、 

        この 『絶対的な自己』 が不可欠な要素なのだと思います。

     なので、当たり前ですが、

      人より容姿が優れているとか、 人より勉強が得意だとかといった、

          『相対的な自己』 はアイデンティティとは相反するものだと言えると思います。

 

    先に書いた、僕が違和感を感じた、

     「学歴も一つのアイデンティティなんだから」 という言葉に戻ると、

     学歴を語る人は、その時、暗に何を意図しているのかということが重要です。

      その意図は、多くの場合、

       自分の能力が他の多くの人より優れているということを知ってもらいたい

        ということです。

          完全に、相対的に見た自分についての話 です。


      でもこういった意図を前面に出して、話すことは憚られるので、

       学歴は、あたかもアイデンティティの一つのようにして
 
                     語ってしまわれているということだと思います。

      学歴に自信のある人が、学歴の話をしたくなってしまったり、

        学歴話になると心を、こちょこちょっとくすぐられてしまうのは、よく分かります。

       でもその心の揺らぎは、間違いなく、優越感を感じたいという甘え です。

       この甘えを持つことが悪いわけではありません。

        学歴に自信のある人の多くにとって、

          この 甘え から完全に開放されることは非常に困難なことです。

        ただこの 甘え を感じることを戒める気持ちを持つ努力をしなければ、

          アイデンティティ、つまりは 絶対的な自己 を発見することは

                           できないのではないかと僕は考えています。


 久々に考えたことを書いてみました(^^

   やっぱり書くのは楽しいなぁって感じました♪
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# by oriotia | 2010-06-09 22:12
2010年 05月 03日

ここのところ

4月から仕事内容が少し変わり、

 より生産に近い職場になりました。

  製造メーカーにとってやはり製造現場は生命線なので、

   日々、責任を感じながら充実した生活を送ってます♪


 29歳になり、 働き盛り を迎えているのかもしれません。


 最近思うのは、 志 をもって生きなければならないということです。

  日々の生活には直近のこまごました課題がたくさん有ります。

   基本的にはそれをこなしてゆくことが、働く とか 生きる ということだと思います。

    その時、 志 をもって、物事をこなしているかどうかが、

     その後での大きな変化をもたらすのだと思います。


 志をもつ ということは、 

     取捨選択の基準をもつ ということに言い換えることもできるかもしれません。

  現実の世の中では、解決できる課題もあれば、解決できないものもあります。

   だからこそ判断を下す機会に面するまでに、

    自分の 志 をある程度、明確にしておかないといけないと考えています。

  自分の志を築く  という作業にとって、

    サラリーマンの30~40歳という年齢はすご~く大切な時間なんじゃないのかなぁって思います。
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# by oriotia | 2010-05-03 21:40
2010年 04月 04日

写真学校に通い始めました♪

すご~く久しぶりの更新です。

仕事が忙しくなり、

  「こんなこと書きたいなぁ」って思うことがあっても、

   書けないことが続き、 書かないのが当たり前 という状態でした(^^;


 でもこのブログを書くようになり、

  自分のこれまで感じてきたことや、考えてきたことを顧みる機会をもち、

    ずいぶんと自分の中で整理することができました。

  そして “書く” ということが 自分の考えを深める手伝いを

   非常に多くしてくれるものだと知りました。


  その 「手伝い」 は、 “話す” ことよりも “書く” ことのほうが遥かに大きいと感じました。

   “話す” の場合は、話が進むに連れ、その前に話したことが消えていってしまうので、

    論理に飛躍や、 矛盾や、抜け があっても、気づかないこと、しばしばです。

     でも “書く” と 話が進んでも、前の部分が消えることがないので、

       飛躍などが発生しにくくなります。

   だから自分のこれまで 自信をもって人に語っていた考えなども

    一度、文章に起こしてみると、案外、 「あれ!?」 っていうことが有ります。

      僕がそうでした(^^;

 そんなわけで、ペースは気にせず、やっぱり書き続けていきたいなぁって思ってます♪



ぜんぜん、話が変わって、最近、週末に写真学校に通っています(^^@

  「どんなものかなぁ」 と半信半疑で通い始めたものの、

   今までとは違った、感覚で写真を楽しんでいます♪

    「写真とは」 という点について、目からウロコなことがいくつもありました!

  写真学校では、フィルム一眼レフで、 モノクロ写真を撮ってます。

    モノクロ写真、おすすめです♪
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# by oriotia | 2010-04-04 19:50
2010年 01月 28日

幸せになるために必要なこと

先週末、祖母にプレゼントを渡すために帰省してきました♪

 プレゼントは、デジタルフォトフレーム!
                 しかも 15 インチ!
                   ちょうど今、皆さんの目の前にあるPCスクリーンくらいの大きさ♪

  昔からのたくさんの写真を入れてプレゼントしたのですが、

   祖母はすごく喜んでくれました(^^

    フォトフレームも気に入ってくれたのですが、

     プレゼントを渡すために帰ってきたということを何よりうれしく思ってくれたようです。

     最近少し涙もろくなった祖母は、涙ぽろぽろでした。




年配の人ほどそうかもしれませんが、祖母は多くのことに深く感謝します。

  そんなときの祖母の顔を見ていると、

    「何かに心から感謝したとき、人は幸せになれるんやなぁ」 って感じます。

   どれだけたくさんの愛情を注がれたかということよりむしろ、

     どれだけ深く感謝することができるかということが大切なのだと感じます。


  なかにはたくさんの愛情を注がれていても、

   不満ばかりが募ったり、寂しくてより多くの愛情を求めるばかりで、

      満たされないという人もいます。


  「感謝」 って 愛情を受ける器 なんだと思います。

     だから 深く感謝できる人は、 大きな “器” を持っているから、

      注がれた愛情をきちんと受け止めることが出来て、

     感謝する習慣の薄い人は、いくら愛情を注がれても、

      それをきちんと受け止めることができていないのだと思います。


   そして 感謝 って正のスパイラルをもっていて、

    器で受けた愛情を、さらに誰かに注ぎ返すことで、

      自分の 愛情を受け止める器はますます大きくなっていて、

        さらに深く感謝し、幸せを知ることができるようになります。

     それは 誰かに愛情を注ぐことで、

       愛情を注いでいるときの自分の心持から、

       「人が愛情を注ぐときは、こんな温かい心でその人に接しているんだ」

        と知り、

        そして、自分に愛情を注いでくれている人の気持ちを、

                 より深く知ることができるからだと思います。


  だから幸せに、そして豊かな人生を送るためには、

   “感謝” という愛情を受け止める器 がなくてはならないと考えています。



 この “器” をきちんと築くためには、

  他の誰かに愛情を注ぐという経験がすごく大切だと思います。

   愛情を注ぐということがどういうことか、心で分かっていれば、

    だれかに愛情を注がれたときに、その “器” が自ずとつくられてゆきます。


 祖父が亡くなり、祖母の一人暮らしが始まりもう、8年が過ぎました。

  その間、携帯で毎日連絡するようになりました。

    このやり取りが如何に、祖母、僕のお互いを豊かにしてくれているかは、

     測り知れないほどだと思います♪

↓はデジカメを使う祖母♪ ピントぜんぜんあってません(^^;
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# by oriotia | 2010-01-28 23:03
2010年 01月 16日

最近、頭に留まっている言葉があります。

 それは、

  「人は40歳を過ぎたら、自分の顔に責任をもたねばならない。」

   前にも一度書いたことのある、リンカーン元大統領の言葉です。

 以前から僕も、

  「顔を見ているとその人がどのように生きてきたかが伝わってくるなぁ」って

   思ってはいたのですが、ただそれは、60歳くらいの人たちに対してでした。


 でもリンカーンさんは、40歳で既に顔にその人の生き方が表れると言われてます。

   見る目のある人が見れば、

    40歳の顔にはもう既にくっきりと刻み込まれたものが見えるということだと思います。


  僕もつい先日、29歳になりました。

   これまでどうあったか、そしてこれからどうあるかが、

    そろそろ顔に表れ始めてもおかしくありません。



 そして最近こんな話を目にしました。
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  ある大学の授業の話。 
  「クイズの時間だ」 教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
  その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、
  彼は学生に聞いた。
  「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
  「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
  そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。
  そしてもう一度聞いた。
  「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
  一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。

  教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
  それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
  「この壺はこれでいっぱいになったか?」
  学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
  教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
  「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」

  「この例が私達に示してくれる真実は、
   大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」
  君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。
  それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。
  ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。

  それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
  もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、
  君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
  そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう。
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僕の“壷”に今どれだけの、空きがあるのかは分かりませんが、

 僕にとって、“大きな岩”は何なのかということを考えなければ、いけないと思います。

  この“大きな岩”が、“40歳の顔”に与える影響は、すこぶる大きいと思います。


↓はお正月に写した きらら の写真。

 今年で6歳なので、人年齢に置き換えると、そろそろ三十中盤・・・

   “顔”に責任をそろそろもってもいいお年頃です(^^@

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↓はカメラのソフトで魚眼風にいじってみました♪
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# by oriotia | 2010-01-16 01:32