2009年 04月 16日
僕は自分の言葉を大切にしてる方なんかなぁって思います。 僕の地元のある和歌山県では、 和歌山出身であることを恥ずかしがる若い人が多く、 例えばラルカンシェルのハイドさんも和歌山出身ですが、 ずい分と長い間大阪出身と言ってました。 そんな訳で、上京したり、別の地域に移り住んだ地元の友達 の多くが標準語になってます。 僕が大学受験の際に、一緒に上京した友人は、 新幹線で東京駅に降りて、タクシーに乗った途端、標準語になりました(^^; その友人も東京の大学に通い始めたのですが、 彼の周辺では、「和歌山って標準語なんだ。」って誤解する人、続出 。笑 僕は、大学入学で東京に越してきた9年前から、 今まで関東住まいですが、 和歌山にいた頃から、言葉に大きな変化はありません。 たまに 「関西弁にこだわってるねぇ。」って言われることもありますが、 そういう訳でもなくて、、、 自分が一番、気持ちをのせることができる言葉を選ぶと、 自然と地元の言葉が出るんです(^^@ それに “地元の言葉” と一口に言っても、同じ地域でも言葉は違います。 それぞれの家族によって、言い回しや、間や、イントネーションは違います。 だから僕は自分の言葉を観察していると、 「これは、おばあちゃんの使ってる語尾やな。」 とか 「これはうちのお父さんも使ってる、言い方やわ。」 とか気づきます♪ 昔から使っている言葉は、その人の成り立ちを含んでます。 だから僕は、簡単に地元の言葉を捨ててしまう人は、 実は大きなものを失っていると思ってます。 「言葉なんて、人の表層でしかなく、本質には影響がない。」 って考える人もいるかもしれません。 でも、以前、 『 一人称が “ 僕 ” 』 でも書きましたが、 使う言葉を変えると、びっくりするくらい性格って変わってしまうと思います。 若い人たちの言葉が乱れていると嘆いているのを、 テレビなどで見かけることがあります。 でも別に乱れている言葉と、乱れていない言葉という点よりも、 雑誌などが、勝手に作った、深みのない “今風の言葉” に振りまわれ、 言葉をひょいひょい変えていると、 “自分” がどこかに行ってしまう・・・ということが心配な部分なんだと思います。 方言でも、標準語でも、自分の言葉って大切にしたほうがいいなぁって思います。
by oriotia
| 2009-04-16 06:13
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